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長野地方裁判所 昭和30年(行)6号 判決

原告 八幡郷

被告 長野県知事

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告が北佐久郡浅科村大字八幡字寄理田四七一番一、田一反四畝十七歩畦畔一畝二十一歩(以下単に本件土地と略称する)に対し、昭和二十二年七月二日になした自作農創設特別措置法第三条による買収は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求原因として

「一、原告は明治二十二年の町村制施行前の八幡村(現在は北佐久郡浅科村の一部)の地域内に居住する住民によつて組織されている団体であつて、住民の総合体として本件土地ほか十筆の山林・原野等の土地を所有し、同地域内における浅科村の所管に属しない水利施設・道路橋梁の新設及び改修等、住民の福祉をはかることを目的とし、原告の代表者は構成員によつて選出された者をもつて構成する、八幡郷財産処理委員会において互選されることになつている。

二、本件土地はその他の原告が所有している土地と共に、旧幕時代から八幡村の所有するところであつたが、明治二十二年の町村制施行により、八幡村・蓬田村・桑山村・矢島村が合併して南御牧村が置かれた時に、右土地を新村の所有とせずに原告の所有とし、その旨の登記もなし、以来引続き原告において管理・収益してきたものである。なお原告はこれ等の土地を前述の如く住民の総合的団体として所有するのであつて、原告の構成員のいわゆる総有に属するのである。

三、北佐久郡南御牧村農地委員会は、昭和二十二年五月四日本件土地が原告の所有であることを熟知しながら、本件土地を春原善次郎の所有として買収計画を樹立し、同年六月五日右買収計画を公告し、同日から十日間これを縦覧に供し、次いで被告は右買収計画に基き、本件土地を同年七月二日自作農創設特別措置法第三条第五項により買収した。

四、しかして農地の買収は真実の所有者を被買収者としてなさるべきであるのに、北佐久郡南御牧村農地委員会は、本件土地が原告の所有であることを熟知しながら、何等本件土地につき権原のない春原善次郎を所有者として買収計画を樹立し、被告も亦これを熟知しながら買収したのであるから、本件買収処分は当然無効である。」と述べ、被告の主張事実に対し「宮沢義次が本件土地を耕作していたことは認めるが、同人は何等権原なくして耕作していたのである。本件土地は同人の先代利助が昭和六年頃、原告の代表者として管理保管のため耕作していた。従つて同人の死亡により相続人である宮沢義次は選出された新代表者にこれを引継ぐべきであつたが、新代表者から引渡の要求がなかつたので、そのまゝ耕作していたにすぎず、小作地とはいえないものである。又本件土地の収穫物の一部を原告に交付していたことは認めるが、これは賃料として支払つたのではなく、宮沢利助は管理者として管理費用に相当するものを差引いた残余を本件土地の収益として納入していたのであつて、宮沢義次は利助死亡後、その先例を踏襲しただけである。(2)の事実は否認する。(3)の事実につき、本件土地が土地台帳には春原縫左エ門所有と表示されていること、春原善次郎が右縫左エ門の相続人であること、原告が本件買収令書及び買収の対価を春原善次郎から受けとつたことは認めるが、その余の事実は否認する。」と答えた。

被告指定代理人は本案前の答弁として「本件訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、その理由として「原告は通称八幡といわれている地域(旧八幡村の地域)内に居住する住民によつて組織されている団体ではあるが、法人でもなく又民事訴訟法第四十六条にも該当しないから、当事者能力を欠くものと云うべきである。仮に原告に当事者能力があるとしても、岩下勝太郎は本件訴提起当時原告の代表者ではない。以上いずれにしても本件訴は不適法である」と述べ、本案に対する答弁として「請求原因第一項中原告が旧八幡村の地域内に居住する住民によつて組織されている団体であることは認める。たゞし原告の構成員は同地域の土着家督相続人のみであつて、現在もこれに準ずるもののみである。原告が本件土地ほか十筆の山林・原野等を所有していたことは認めるが原告は共有類似団体としてこれを所有していたのである。原告の代表者の選出方法は不知。その余の事実は争う。第二項の事実中本件土地が登記簿にも原告の所有として記載されていることは認めるが、その余の事実は不知。第三項の事実中被買収者を春原善次郎としたとの事実は否認する。その余の事実は認める。第四項は争う」と答え、本件買収の適法性につき「(1)本件土地は大正年間亡宮沢利助が原告から賃料一ケ年籾五俵半の約定で賃借し、同人死亡後宮沢義次が相続によつて賃借権を承継し、本件買収時迄小作していた土地である。(2)しかして原告は自作農創設特別措置法第三条第五項第四号のその他の団体に該当し、小作地を所有することのできない団体であると認めたのである。(3)そして本件買収手続において原告の代表者が明らかでなかつたので、本件土地台帳の表示に所有者となつていた亡春原縫左エ門が、生前原告の代表者であり、且つ本件土地の管理を委ねられていたこと等から、同人の相続人春原善次郎を原告の代表者として買収手続を進めたのである。従つて本件買収令書及び対価は春原善次郎を通じ原告に交付されている」と、述べた。

(立証省略)

理由

一、原告の当事者能力について

原告が本件土地その他山林・原野・墓地等十筆を所有することは当事者間に争がなく、証人依田祐治・同岩下満利・同工藤袈裟太郎の各証言及び原告代表者本人尋問の結果を綜合すると、原告は現在北佐久郡浅科村の一部となつている、明治二十二年の町村合併前の八幡村に該当する地域に存する団体(この事実は当事者間に争がない)で、その組織・運営・財産の管理等は成文化された規約によつて運営されているのではなく、一に旧幕時代からの慣行によつてまかなわれているのであるが、(1)右地域内に土着していた旧民法下の所謂戸主に相当する者によつて構成され、(2)本件土地のほか山林・原野・墓地等から得られる収入によつて、神社の祭典・作場道の改修をなし、その他同地域内の住民の懇親や福祉をはかることを目的とし、(3)団体は構成員から選出された数名の総代によつて代表され、財産の管理並びに処分は任期を三年とする耕地総代と称する三名の総代によつてなされ、会計の責任者は右三名の総代のうち最年長者をもつて、これにあてゝいた(なお右耕地総代が昭和二十八年十一月十二日に出来た、八幡郷財産処理委員会によつて事務を引継がれ、岩下勝太郎が同委員会の互選によつて、原告を代表するに至つたことは後述のとおりである)。(4)前記不動産は、旧幕時代から当時の八幡村に帰属していたのであるが、明治二十二年八幡村・蓬田村・桑田村・矢島村が合併し南御牧村が置かれることになるに際し、右不動産を新村に引渡さずに原告のものとするに至つた事、従つて元来構成員の提供にかゝるものではない。(5)又原告が右不動産の管理処分権を有し構成員個人には共有持分がなく、平素は不動産から得られる収入によつて営まれる祭典・懇親会・作場道の改修を通じ、間接的に利益を受け、不動産を処分する場合には原告よりその配分(不動産そのものゝ分割配分或は売得金の分配)を受け得るにすぎない。以上の事実が認められる。しかして原告所有の不動産の管理並びに処分は、従来三名の耕地総代によつてなされて来たことは前記のとおりであるが、証人依田祐治・同工藤袈裟太郎の各証言及び原告代表者本人尋問の結果と右工藤証人及び原告代表者の各供述により成立を認め得る甲第二・第三・第六号証・成立に争のない甲第七号証によると、昭和二十八年の凶作が発端となつて、これの対策として原告所有の財産全部を処分し分配することになり、同年十一月十二日原告の構成員により財産処理委員十名が選出され、右十名の委員によつて構成される財産処理委員会が発足し、次いで財産処理委員の互選によつて岩下勝太郎が財産処理委員会総代に推されたこと、財産処理委員会は委員会発足と同時に、それ迄原告の財産の管理・保存の任に当つていた依田祐治ほか二名の耕地総代から、原告の現金・会計簿その他原告の財産に関する一切の事務の引継ぎを受け、以来財産処理委員会の手によつて従前の耕地総代がなしていた事務と共に、財産の処分・分配が進められて来たこと、前記依田祐治ほか二名の耕地総代は、財産処理委員会発足当時未だ任期を残していたのであるが、事務引継により退任した形になつたことが認められる。従つて財産処理委員会は従来の耕地総代がなしてきた原告の財産の管理・保存行為に加えて、財産を処分し、分配する新たな権限を与えられたものと云うべく、又その目的達成のためには、裁判外の行為はもとより裁判上の行為をなすこともその権限に含まれるものと解され、前記の様に財産処理委員会において同会総代に選出された岩下勝太郎は財産処理委員会がなしうる一切の行為をその代表機関としてなしうるものと認められる。

以上を綜合すれば、原告は法律上人格の付与を受けない団体であるが、その構成員各自から独立して被会活動を営む程度に達した部落共同体、換言すれば、一の総有団体であり、かつ代表者の定めあるものとなすべく、岩下勝太郎はその代表者に外ならない。従つて、民事訴訟法第四十六条に徴し、原告が当事者能力を有することは疑いない。

二、本案について

北佐久郡南御牧村農地委員会が昭和二十二年五月四日、本件土地につき買収計画を樹立し、同年六月五日右買収計画を公告して、同日から十日間これを縦覧に供したこと、次いで被告が同年七月二日、本件土地を自作農創設特別措置法第三条第五項に基いて買収したことは当事者間に争がない。

原告は「右買収は本件土地の所有者を春原善次郎としてなしたのであるから、所有者誤認の違法がある」といい、被告は「本件土地の所有者は原告であると認めたのであるが、原告の代表者については明らかでなかつたので、土地台帳上本件土地の所有者となつており、且つ明治年間原告の総代として本件土地の管理をしていた亡春原縫左エ門の相続人である春原善次郎を原告の代表者として手続をなしたのである」と云う。北佐久郡南御牧村農地委員会が、本件土地の買収計画樹立に際し、又その後の手続における取扱において、本件土地の所有形態がいかなるものかについての明確な認識があつたとは云い難いが、一応原告に帰属するものと認め、自作農創設特別措置法第三条第五項第四号を適用する意図のもとに、手続を進めたものであること、被告もかゝる認定に基いて本件買収処分をなしたものであることは、成立に争のない甲第四号証・乙第二号証・乙第三号証の四及び証人小泉三郎・同岩下善一の各証言を綜合してこれも認め得る(なお甲第四号及び乙第三号証の四には「八幡郷共有」なる用語が用いられているが、仮に農地委員会が共有地と認定していたとするならば、共有者全員を被買収人として、買収令書の交付をすべきであるのに、後述の如く春原善次郎を原告の代表者として、同人に買収令書を交付しているのをみると、文字どおり共有地と認定したのではなく、不用意な記載であると解するのが相当である)。従つて本件買収処分は、前記の如く非法人たる団体であるにせよ、その構成員から独立し、自ら管理処分能力を有する原告を被買収人(ただし現実の手続は自然人たる原告の代表機関を通じてすることになるが)としてなすべきである。しかるに被告は買収令書には原告を被買収人として表示せず、単に春原善次郎の個人名を記載して、これを同人に交付したにすぎないこと、かく表示するに至つたのは、土地台帳上所有者が亡春原縫左エ門となつていた(この点は当事者間に争いがない)ので、その相続人春原善次郎を原告の代表者と認定して買収手続を進めたからであることが成立に争のない乙第二号証及び前記小泉三郎・岩下善一の証言によつて認められる。従つて以上の事実によれば、被告のなした本件買収処分は被告が所有者を誤認していたわけではないけれども、買収令書に被告の認定どおりの正確な所有者の表示をなさなかつたことにより、結果においては所有者誤認の場合と同様の効果をもたらす瑕疵ある処分となるものと云わなければならない。しかしながら本件土地の所有形態が外観上必ずしも明確でないことや、公簿上本件土地の所有者が春原善次郎の祖父である亡春原縫左エ門になつていたこと、又甲第七号証により認められるように、昭和二十二年当時原告所有財産に対する公租公課や原告の出費は亡春原縫左エ門名義でされていること、甲第二・第三・第六号証により認め得る、春原善次郎は原告の構成員であり、同人に対し本件土地買収手続を遂行しても、原告はこれを知り得る状態にあつたこと等を考えると、前述の瑕疵は重大且つ明白なものとは認められず、従つて本件買収処分がこの点において当然無効であると解することは出来ない。なお証人岩下満利・同依田祐治・同小泉三郎・同岩下善一・同宮沢義次の各証言および原告代表者本人尋問の結果を綜合すれば、本件土地は宮沢義次の父宮沢定助が原告から賃借して耕作していたものであつて、昭和十三年定助の死亡により、宮沢義次が右賃借権を相続し、引続き、耕作して来たものであることが認れる。(右認定に反する証人工藤袈裟太郎の証言は措信しない。)従つて本件土地は自作農創設特別措置法の小作地に該当するから、本件土地を小作地と認定してなした被告の本件買収処分はもとより有効である。従つてこの点につき、何等の瑕疵もない。

三、よつて原告の本訴請求は理由がなく、失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中隆 高野耕一 正木宏)

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